悲しみよ、こんにちは

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”ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。
その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。
ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった、
けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。
今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私に蔽いかぶさって、私をほかの人たちから離れさせる。”

フランスの作家、フランソワーズ・サガンの処女作、
『悲しみよ、こんにちは』の冒頭のこの詩はあまりにも有名な詩だ。

10代の少女が悲しみという感情を知り、そして大人になっていく。

人間にとって悲しみとは何なのか、僕は自分の音楽や作品で、その答えについて描いていきたいと思っている。
だけら僕も自分のブログを始めるに当たり、「悲しみよこんにちは」の冒頭のこの詩を引用させてもらう。

ここから自分の心の中にあるものを少しでも形のある文章にすることで、
僕の悲しみとは何なのか。僕の人生とは何なのか、
その答えに少しでも近づくことができたらいいなと思う。

感情とは、どう頑張っても抱いてしまうものだと思う、
哀しみや、苛立ちなどのネガティブな感情を否定したくても、
人生にはそうはいかない場面が山ほどある。
ではいくら否定したくても、否定できない感情というものと付き合うには、
どうすれば良いのだろうか?
そう考えたときに悲しみの意味を知ることになる。

自分の理想と現実との違いで傷付いた時、
または、誰かに裏切られ、心を踏みにじられた時、
または、自分の大切なものや人が、自分の前から失われてしまった時、

その人に悲しみは必ず現れる。

何もかも、この世の全てを信用できなくなった時に、
悲しみの本当の意味を考えて欲しい。

そいつが君の人生に何をもたらせてくれるのか、、、

人生に悲しみは必要だ!
それがあるから、人間は強くなれる。

もっと悔しんで、もっと悲しんで、

もっと悲しみを受け入れて……

悲しみよ、こんにちは!

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