“イジメ”というものについて

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まず大前提として

僕は暴力やイジメを肯定する人間ではないし、ましてや、今まで暴力で問題を解決しようと思った事なんて一度もない。

多くの人がイジメはいけないとか、イジメを無くそうと言っている。多くの学校がうちの学校ではイジメは絶対にありません。と言っている。

とても崇高な事だけど、現実は違う。

イジメを無くそうと言っているすぐ横に必ず仲間外れにされてる人はいるし、ウチの学校でイジメはありません。と断言している学校のクラスの隅では、毎日の様に涙を流している生徒が必ずいる。

人が人である以上、イジメを無くす、とか、イジメは絶対にありません。なんて絶対に有り得ない。

人の歴史なんて、イジメや暴力の繰り返しだ。度重なる差別、度重なる戦争、度重なる侵略や略奪。人はこれまで幾度となく、同じ人間を仲間外れにし、そしてイジメてきた。

それなのに、手のひらを返した様に、急にイジメを絶対に許しません!無くそう!

なんてそんな言葉を信用できるだろうか?

もう何千年も人類には歴史があり、その何千年間の全ての歴史に人が人をイジメて来た事が示されているのに、、、

とてもナンセンスだも思う。

人間がイジメを無くそうとする事は出来もしない夢の話だ。

イジメは必ずある。どんな世界にも、大人になったって無くなる事はない。自分は気付かないでいるけど、実は人をイジメてる事に加担している時だってあるんだ。

それが人間なんだよ。残念だけど、

じゃあ希望なんてないのかと聞かれれば、希望はある!と答える!

答えは単純なんだ

闘うんだよ!自分が自分であるために!

肉体的な違い、精神的な違い、思考的な違い、今まで経験して来た過去や、思い出。その全てが人間の個性であり、大事な部品なんだ。

その全てを誰かに否定されるべきではないんだ。だから、思い切り拒まなくてはいけない。

何も自分の事を苦しめてる人間の事をぶん殴れと言っているわけではない、それこそ人はみんな違うんだ、それぞれの闘い方があるんだ。

それを見つけて、自分を否定されない闘いをするんだよ。

人生ってとってもハードなんだ。誰も席を譲ってくれないし、誰も答えを教えてくれない。

それでも自分の席を見つけ、そこに座る事を強いられるのが人生なんだ。

人間の歴史はイジメの歴史だ、なんてさっき言ったけど、それは実は裏を返せば抗って来た歴史でもあるんだ。

自分たちの席を取り返すために、これまで多くの人間が闘ってきたんだ。

自分の席は自分で取り返すんだよ!

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