夢のために闘うすべての人へ
僕は高校を卒業して、すぐに親元を離れて東京に出てきた
東京にある、音楽の専門学校に通うため、
地元の田舎から東京という日本一の大都会にきた。
音楽の専門学校では、本当に色々な人と出会い、
僕の人生を彩ってくれた。
初めて仲良くなったのは、
竹内さんという僕よりも5歳くらい歳上だけど、
同じ時期に入学してきた人だった。
竹内さんは、僕と同じで、PCで音楽を作る学科を専攻していて、
トラックメーカー志望だった。
僕は当時からラッパー志望で、彼とは本当によく話があった。
彼も洋楽のヒップホップが大好きで、
将来はヒップホップを作りたいって夢があった。
毎日のように彼と僕は今のヒップホップのシーンはどうだとか、
今流行ってる音楽はどうだとかを、ずっと語り合い、
その時間が僕は、本当に幸せだった。
次第に、
彼が自分で作った曲を持ってきてくれて、
僕がそれにもう少しアイディアを足して、さらにそこにラップを乗っけていく
みたいに二人で曲を作るようになった。
彼の作る曲はとても豊な音楽で、僕は気に入っていた。
普通のトラックメーカーでは作れないような
独特で、綺麗な音楽で、
僕の書きたかった歌詞とそれがマッチしていた。
二人で何曲も作った。
毎回竹内さんが持ってくる曲を僕が楽しみに待っていて、
あっという間に、僕が歌詞を書いてしまうから
竹内さんはまたすぐに次の曲を用意しなくちゃいけないみたいな状況だった。
それでもお互いに刺激をしあい、いろんなことを経験しながら、
音楽をしてきた。
専門学校の卒業公演も彼との曲をやり、
二人の音楽で大きな喝采をもらった。
専門学校卒業後は、僕はバンドもやっていたので、
バンドの方の音楽もやり、竹内さんとの音楽も作りで
毎日毎日音楽漬けの日々だった。
竹内さんも、新聞配達のアルバイトなどをやって
僕との音楽を続けられる環境を整えてくれていた。
卒業後も彼といろんな場所で会い、
音楽についていろんなことを話し、
二人でスタジオに入り、音楽を作ってきた。
僕はバンドの方が忙しくなっても、
竹内さんとの音楽を作る時間だけはちゃんと確保して、
その時間を何よりも大切にしてきた。
だけどある日、
毎週の様に竹内さんとスタジオに入っていた時間に
竹内さんから、
急な用事ができて、
スタジオに入れなくなってしまったと連絡がきた。
その週は仕方なく、一人でスタジオに入り、練習をし、
また来週頑張ろうと思ってた。
だけどまた次の週も、竹内さんは来れなかった。
「今仕事が忙しくて、中々曲を作る時間が作れない状況なんだ。」
と連絡がきた。
僕は
「わかりました。また時間ができれば連絡を下さい。
竹内さんの音楽を待ってます。」と返信し、
それからは僕からの毎週のスタジオの連絡もしなくなった。
いつか竹内さんからの連絡がまた来るまで、
それまで、いろんなことを勉強して、
いろんなことを書ける様にしておこうと
本をたくさん読むことにした。
バンドの方でも音楽をずっとやっていたから、
それから半年ほどの時間がたったことにも気付かなかった。
僕は、またふと、竹内さんと音楽がしたいと思い、
連絡をしてみた。
「竹内さん、最近音楽の方はどうですか?
仕事は落ち着きましたか?
また竹内さんと一緒に音楽を作りたいです。」
それでも、竹内さんからの返信は来なかった。
ずっと待つことを選んだ僕だったけど、
それでも、僕は竹内さんとの曲をまた作りたくて、
連絡を急いてしまった。
また一ヶ月後には、
「どうですか?仕事や音楽はどうなりましたか?
またスタジオに入りたいです。」
という風に、一ヶ月に一回、メールを送っていた。
それでも竹内さんからの返信は来ず、
僕は、どうすることもできずに途方に暮れていた。
またそこから、半年ほどの時間が経ち、
僕はまた竹内さんに連絡してみた。
「竹内さん、連絡ください。音楽はどうなりましたか?
仕事はまだ落ち着きそうにないですか?
また二人で音楽を作って、凄いものを作りましょう!」
僕は、また、返事はないだろうなと諦めてたとき、
竹内さんから返事がきた。
「マロ、連絡が遅れてごめん。
今、色々なことが俺の中で起きていて、
実はもう東京に住んでいないんだ。
実は、一年ほど前に実家で働いていた従業員が倒れてしまい、
今は実家の手伝いをするため、地元に帰ってきてる。
またすぐに東京に戻れると思っていて、
マロに連絡も何もせずに
地元に戻ってきてしまって、とても悪いと思ってる。
けど、今は、俺は東京での音楽よりも、家族の手伝いや、
実家の家業の手伝いを優先しなくちゃ
いけないってことに気付いたんだ。
マロと一緒に音楽をやってきた
時間は、楽しくて刺激的だったけど、
人生には、やりたいこととやるべきことがあり、
今は、自分のやりたいことよりも、
自分のやるべきことをやる期間なんだって思ってる。
毎月の様にマロから連絡がきて、
俺はそんな選択をした自分が嫌で、マロから逃げてたと思うんだ。
こっちにきても、曲は作り続けるつもりだし、
いつか東京に戻れる様になったら
またマロと音楽ができればいいなと思う。
だけど、今はそれがいつになるかもわからないから、
マロに待っててくれとも言えない。
いろんな経験をしたけど、俺は自分の選んだ人生を強く生きていくつもりだ。
今まで連絡が遅れてごめん。」
僕は、そのメールが来たことにより、少し楽になったけど、
悔しく思った。
本当に竹内さんの作る曲は、とても素敵なもので、
かっこいいものだったのに、自分は何もできなかった。
もがきながらも、少しづつ必死に前へ進もうと思ってきたけど、
もしかしたら、もがいてる時間なんて彼にはなかったのかも知れない。
僕は、初めて竹内さんと一緒に作った曲の詩を作りなおした。
多くの人に竹内さんの曲を素敵だと思って貰うために、
そして多くの人の夢が、辛いものにならない様に、
そして僕と竹内さんの二人で音楽を作った時間が消えてしまわない様に、
『World Is Mine』
今でも、ライブで歌うことが多いこの曲は、
僕たち二人が本当に、色々なものと戦ってきた証なんだ。