尾崎豊を愛してきた人達へ
僕は尾崎豊が好きだ。
尾崎豊の音楽を今まで何回も何回も聞いて、
そして色んな影響を受けてきた。
メッセージや、メロディ、音楽性、それから生き方まで、
彼は17歳の時にデビューし、数々の名曲をこの世に残し、10代のカリスマと崇められ、あっという間に亡くなってしまった。
まさにロックスターというに相応しい人生だったと思う。
そしてほとんどの若くて、生意気な男の子達はそんなロックスターのような太くて短い人生に憧れるもんだ。
自分の炎が消えてしまう前に、自ら消してしまおうと。。。
尾崎豊の芸術は筋が通ってた。
10代のカリスマが20代になり、20代の音楽を見つける事が出来ずに、死ぬ事で「尾崎豊」という作品を完成させた。
僕はそう思ってる。
僕は浜田省吾も好きだ。
浜田省吾も若い頃、尾崎と同じようなロックをやり、愛だの夢だのを唄ってた。
だけど、浜田省吾は今でも唄っている。
浜田省吾は今でも年老いたロックスターが何を唄えばいいのかをちゃんと見つけて唄ってる。
僕は、若い時は尾崎の生き方がカッコいいって思ってた。だけど、今は浜田省吾の生き方の方がカッコいいと思うんだ。
多くの若者達がロックスターの人生に憧れ、
短く太く生きようとする。だけど、ほとんどの人がそんな生き方を選べずに、大人になる。
そしてみんな気付くんだ。
人生は若くない時の方が長いんだって、
ロックスターになろうとしてた時より、なれなかった後の方がよっぽど長いんだって。
尾崎はそんな長い道のりを途中で投げ出してしまったんだ。
10代のカリスマが20代や30代になり、カリスマじゃなくなってしまうのを拒んだんだ。
10代のカリスマがそうじゃなくなったとしても、もがきながら自分の唄うべき唄を見つけ、そして唄い、苦しみ、共に闘って欲しかった。
尾崎豊の唄を自分たちの道しるべの様に聞いてた人達はたくさんいたんだ。だけど、尾崎は急にそれから先の事を提示するのを辞めてしまった。
その後の人生の方がよっぽど長いのに、
尾崎の書いた地図には、そこから先が全く書いてないんだ。
尾崎豊が表現したものなんて、人生の本当に始まりの一瞬でしかないんだ。
その後にもっともっと苦しい闘いがたくさんあって、もっともっと激しい雨が何回も何回も降るんだ。
そんな時こそ、人生の地図が必要だったのに、
痛みを分かち合える人間が必要だったのに、、、
ロックスターの様な生き方なんて、本当に臆病で無責任な生き方だと思う。
こんな人生にも生きながらえ、死んでしまう事を拒み続け、色んなものと必死に闘いながら、毎日無様だけど、涙をひた隠して、生きていく。
そんな人間の方がよっぽど勇敢でカッコいいと僕は思ってる。
そして、僕はそんな人達と共に闘っていきたいんだ。