アーティストを志す人たちへ pt,1
僕は今までたくさんの場所で音楽をしてきて、
そして今まで、音楽についてたくさんの事を考えてきた。
まだ全然自分の音楽は有名にはなってはいないし、自分の活動もうまくはいってないけど、
それでも、僕が見てきて、感じた事を書いてみたいと思う。
これから音楽を始めたいと思ってる人、それから今活動をしてるけど、どうもうまくいかない人に今の音楽シーンの中でアーティストはどうするべきかを考えてもらうきっかけになれば良いと思う。
そもそもまず、現在の音楽がいる状況についてを書いておかないと話が成り立たないと思うので、まずはその事から書こうと思う。
まず、今の音楽シーンは昔の音楽シーンとは程遠く違うと思っている。
その理由は、たくさんあるが、大きな理由の一つは間違いなく、ネットや、SNSの普及によるものだと思う。
ネットが普及した事により、誰でも簡単に自分のステージを持ち、誰でも簡単に自分の作品を発信できるようになった。
これはとても音楽には良く影響し、それで有名になったアーティストはたくさんいると思う。
だけど、この現象は、誰でも自分のステージを持ち、立てるようになったがために、乱立したステージの陰でお客さんも含め、アーティスト達が埋もれてしまうという問題も引き起こした。
昔は一本の大きなステージがあり、そのステージに立つ事が自分の作品を有名にするための大きな宣伝だった。
だけど、今はみんながそれぞれのステージをSNSなどで、各々で作ることができるため、どのステージで作品を出せば宣伝なるのかがわからなくなった。
誰でもレベルを問わずに、簡単に発信できるため、その陰で埋もれてしまう優秀な作品も増えてしまった。
これは本当に音楽業界だけでなく、あらゆるクリエイターの世界の秩序を変えてしまったと思う。
これは絵画などで言えば、どこか広い会場などを借りずに、ネットやSNSで絵を書いてます。と絵画をアップすれば、簡単に個展が開催できるという事、
音楽で言えば、ライブハウスなどに出演しなくても、配信アプリや、動画投稿サイトなどで、自分のライブや音楽を配信すればライブや音楽を聴いてもらえるという事だ。
そしてネットの場合はどちらも会場代がかからず、リスクが少ないという利点まである。
今ライブハウスには一般のお客さんなんかほとんどいない。ほとんどのライブハウスがお客さんとして扱っているのは、アーティストやそのアーティストの関係者、いわば同業者だ。
バンドマンは知り合いのバンドマンに自分のライブを観てもらい、その繋がりから、またその人のライブには遊びに行き、持ちつ持たれつみたいな関係だ。
そうやって今のライブハウスはなんとか延命処置を施して生きている。
SNSやネットは間違いなく、ほとんどのライブハウスに絶命の一撃を放った。その一撃は直接的ではないにしても、間接的に多くのライブハウスを閉店に追い込んだ。
話は逸れてしまってたが、
問題はその中でどうアーティストとして、どういう作品を作り、活動するかだ。
現在はネットやSNSの発達により、情報が溢れ過ぎてる社会だと言われている。
ネットは人間の処理できる以上の情報を毎日更新し続けて、それでもなお巨大化し続け、
人間はたくさんの情報を相手にしながら、その中で取捨選択を強いられている。
そんな社会だと言われている。
多くの作品が情報社会の大海の中で誰にも気付かれずに粗末に漂流してしまっている状態だ。
その中で運が良ければちゃんと人に気付いてもらい、運が良ければその人が自分の作品を愛してくれるかも知れない。
クオリティが高ければ、必ず評価されるって声もあるが、そうじゃない。
本当にクオリティが高くたって、大海の中で誰にも見つけられなくては意味がない。
じゃあアーティストはそんな大海の中で、運良く見つけられるのを待ってるだけかって言ったら、そうでもないと僕は思う。
とにかくこれからのものづくりは、クオリティの高いものを作るっていう考えよりも、誰に届けたいものかを考えて作る方が大事になると思う。
ネットの溢れている情報の中で、自分の作品を選んでもらう方法は、ちゃんと相手を指名して呼びかけることだと思う。
その呼びかけがドンピシャで自分の像に当てはまると人はその情報を選択しやすくなる。
情報が次から次へと流れていってしまう情報大洪水の中で、
「アーティストを志す人へ」と書かれたものが流れて来たら、
アーティストを志す人たちは、中身を見てみたいと思わないだろうか?
つまり音楽や曲もそうするべきなのだ。
誰もが感動するような曲を書くより、
もっと狭く細分化された人間だけに響く曲を書く事がこれからはもっともっと必要になる。
それは詞だけの世界ではなく、音色やメロディ、コード進行、アレンジや世界観の全て、とにかく自分が届けたい層の好きなものを分析して狭く、深く、作り込む事が大事だと思う。
そしてその狭さが肝心だ。
相手を断定できるほど狭い呼びかけがこのネットの社会では大事だと思う。
例えるなら、ネットの社会はみんなが拡声器を持ち、好きなように演説しているような状態だ。
至る所で演説をしているから、ほとんどの人が一つ一つの演説に対し無関心でいる。だけど、その中で、「おい!たかし!」っと自分の名前を呼ばれて演説をしてる人がいるとしたらどうだろう?
おっ?なんだ?って思ってしまうと思う。
そうやって相手が「お?!なんだ?」って思わせる事がまずは大事なんだ。
固有名詞まで出すと「お?なんだ?」って思うけど、そこまでの狭さは実現は不可能だ。
だけど、そのくらいの狭さ。
ぼんやりとした広さよりも、もっとくっきりとした狭い呼びかけがネット社会では必要になってくる。
色んな今流行ってる曲を手当たり次第にカバーしてネットに上げるよりも、自分の作品を届けたい層の人たちが好きな曲を、さらに言えばあまり知られていないけど、名曲と言われている曲を狭くカバーしていく方が効果的だと思う。
そして、その音楽や作品はこういう人たちに聞いて欲しいとちゃんとパッケージングしていくことで、この情報の大海の中で選ばれる作品を発信する事ができると思う。
さらに言うなら、、、、
まだまだ思う事がたくさんあるのだけど、少し長くなったので、続きはまた後編を書こうと思う。