一番高潔なもの

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秦文麿

 

いつか神様に

「あなたの人生で”一番高潔だったもの”は何か」

と尋ねられたら、

 

僕は

「それは”自分の人生の全て”だ」

と答えたい。

 

多くのものを失ってきたけど、

それでも僕は自分の全てを信じてきた。

 

切り裂くような雨の中も、

立ち込める無限の霧の中も、

信念に準ずるため必死にもがき続けてきた。

 

時には全てがイヤになった、

時には勇気がなくなった、

だけど自分の人生に恥じないように生きてきた。

 

まだ大きな目標は達成していない、

人の目に映らないようなことしかしていない、

それでも今まで積み重ねてきた道のり自身が誇らしい。

 

多くのものを壊してしまった、

多くのものを裏切ってしまった、

そのたびそこから何かを学び、

そして、それを次のスタートに活かそうとしてきた。

 

失敗や傷の数だけ肯定してきた。

肯定の数だけタフさを培った。

 

この情熱は、燻り続けるのかもしれない

それでも、自分だけはこの情熱が誰よりも熱い炎だって事を知っている。

 

何度だって道を間違えても良いと思うんだ。

何度だって立ち止まっても良いと思うんだ。

そのたびに疑問や不安を感じ、

そしてそれを打ち消すために迷えばいいんだ。

 

人ぞれぞれそには選択の基準っていうものがある。

僕の場合は、その選択肢がいつか自分の人生に恥じるか恥じないかだと思っているんだ。

 

人生っていうのは単純ではない、

かといってとにかく複雑でもないと思うんだ。

 

ハイキングの計画を建てたとしても、

その日になれば大雨が降り、

計画が崩れてしまうことってよくあるんだ。

 

その時に違う計画を実行するか、

それとも大人しく雨が止むまで、

空に祈り続けるか、

 

僕はどちらも正解なんだと思う。

 

だけど、

僕はその選択が自分の人生に汚点の一ピンを刺すかどうかが選ぶ基準になっているんだ。

 

何度も間違った選択はしてきた、

何度も彷徨い、そして何度も後悔をしてきた、

 

だけど僕のこれまでの人生に汚点だったピンは今のところ一ピンもない。

 

だから僕は、神様に自分の人生の全てが”一番高潔なもの”だと伝えたい!

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