被災地に行ってみて
去年、被災地に初めて行った。
気仙沼市と陸前高田市。
震災をテレビで見て
10年間一度もちゃんとそれを自分の目で見たことがなかったので、きちんと見に行こうと思って行ってきた
街は新しい建物が立ち並び、古い建物が一切なく、不気味なほど綺麗で新しい街だった。
そこで僕は駅で電車(と言っても、線路は流されてしまい、高速バスが電車として走っていたのだが)を待っていたら、
二人の男子高校生が同じ駅に並んできた。
二人とも黒い学ランを着ていて、この土地に住んでいるようで、
震災の時にはきっと小学生かそれ以下の歳で幸い生き延びた人たちなのだと思う。
そこで僕は電車を待っていたら、駅の方にお婆さんが近づいてきた。
お婆さんは、僕とその二人の高校生を見つけるなり、近寄ってきて、
話しかけてきた。
「君たちは高校生かい?」最初は、その駅にいた学ランを着た二人組に話しかけてきた。
その男子高校生は「はい」って答えて、その後にそのお婆さんは僕にも話しかけてきた。
「君もかい?」
僕はもう大人だったけど、真っ黒のライダースを着ていたので、僕も同じ高校生だと思ったのだと思う。
僕は「僕はもう大人です。」って返事をしたら、
お婆さんは「そうかい、そうかい。」と言って
さらに続けた。
「私は、この近くに住んでいてさ、震災で、全て流されちゃったから、少し頭がおかしいんだ。
家族も、家も、孫も全部流されちゃったから、近くの駅に人がいたら話しかけたくなるんだよね。」
と言っていた。僕は、これが被災地のリアルなんだと思った。
僕はその時は何も思わなかったけど、
その旅行が終わり
この体験を自分でいろいろ考えた時にあることに気付いた。
あのお婆さんは、もしかしたらまだお孫さんを探していたんじゃないかな?
震災から10年経ったけど、もしかしたら
お婆さんの言うお孫さんはその時はまだ7歳とか6歳で、震災に合い
死体はまだ発見されていないんではないだろうか?
つまり、どこかで奇跡的にまだ高校生として生きていることに
期待を持っているんじゃないかなって思った
だから、あのお婆さんは、駅に来る高校生に話しかけてしまうんじゃないかなって
天災は誰にも予期できないし、全てのものを破壊し尽くしてしまう力がある。
誰もコントロールはできなかったし、誰が悪いわけでもないのに、
全てを変えてしまう。
被災地への旅は、いろんなことを感じさせてくれたし、考えさせてくれた貴重な旅だった。